2007年05月08日

烏山頭ダム・その3・・・ダム周辺ブラブラ

墓前祭も終わり、バスの時間までだいぶあるので、ダム周辺をブラブラとしてきました。




ダム庫の畔にある「シラヤリゾートホテル(西拉雅渡假飯店)」です。
こういうリゾートホテルに泊まるのもいいなぁ〜。


ダム建設時に活躍したドイツ製機関車も保存されています。




ダム湖畔。釣りをしてる人がいます。


ダム湖畔から少し歩くと八田技師紀念室というのがあります。
ここは八田與一の功績を称えて作られた資料室です。




紀念室内には、多数の写真や資料が展示されてます。
左は、八田與一の写真と胸像。
右は、夫婦揃って撮影した最後の写真。(昭和17年撮影)


烏山頭ダムの放水口。
この水が嘉南平野に満々と張り巡らされ、大地に潤いをもたらせます。
終戦後すぐの1945年(昭和20年)9月1日、八田與一の妻・外代樹は、夫が作ったダムの、この放水口から身を投げ、自らの命を絶ったんです・゚・(ノД`)・゚・。




ダムのそばには、こうした親水公園が整備されています。
平日ってこともあって、園内にはほとんど人がいません。

それと園内は広大で、歩いて回るのはとっても大変。(>_<)
あとで知った話、ダムの畔にあるホテルで自転車が借りられたらしい・・・・。


バスの時間(夕方5時発)が近づいてきたので、ゲートを出てバス乗り場へ・・・・。


往路で利用した隆田へ行くバスはもう無いので、この台南行きのバスを利用します。
同じバスに乗ろうとしていた日本人男性(東京から来られてるそうです)と、ちょっと話をしてバスに乗り込みます。この東京から来た男性、台湾旅行歴が20年以上で、台湾全土を旅して回ったそうで、今回も一人で10日間ほど台湾を気ままに一周しているとのこと。
男性は終点の台南までそのままバスに乗って行きましたが、私は途中の善化(シャンファ)駅で下車し、お別れしました。




善化駅前でバスを降り、駅へ行って時刻表を見たら高雄へ行く列車がもうすぐ来るし、時間が無かったので善化の町をブラブラできませんでした。
善化から高雄までは直通の普快列車があったので、普快切符を購入。
そういえば往路の台南から隆田まで乗ったのも普快(鈍行)列車でした。
機関車に牽引された客車の普快列車ももうそろそろ廃止になるそうなんで、何度も乗れてヨカッタんかも。
善化から高雄までは65.5キロ。大阪から滋賀県の草津までの距離にほぼ匹敵。それで運賃70元(250円程度)。日本のJRなら1110円です。


ホームに列車が入って来ましたよ〜。



1時間半かかって終点の高雄駅に到着〜。


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烏山頭ダム・その2・・・八田與一夫妻墓前祭


烏山頭ダムへ来た第一の目的は、八田與一夫妻の年に一度の墓前祭に行くためでした。
今年も盛大に行われているようですよ・・・。





八田與一という人物を知らない人は結構多いはず。
私もつい4〜5年前まで、彼の名を知りませんでしたから。
彼の成し遂げた事業を知ると、その偉大さがよくわかるんです。そして、そのダムを見てみたいと思っていたのと、どうせ行くなら八田與一氏の命日におこなわれる墓前祭に合わせていこう・・・そう思っていたので。今回の台湾旅行のメインイベントがこれだと言っても過言ではないかも。



簡単に紹介すると、八田與一(はったよいち)は現在の石川県金沢市出身で、1910年に東京帝国大学工学部土木科を卒業後、当時は日本の統治下にあった台湾に渡り、当時の台湾総督府内務局土木課の土木技手として勤務します。
その後、1920年に着工され、10年の歳月をかけて建設されたこの烏山頭ダムの現場責任者として関わり、さとうきびも栽培できなかった不毛の大地を穀倉地帯に変える壮大な事業を成し遂げます。

第二次大戦中の昭和17年5月8日、八田與一は徴用でフィリピンへ向かうために乗った船が長崎県の五島列島沖でアメリカの潜水艦によって撃沈され、帰らぬ人となってしまいます。
その3年後、日本は戦争に敗れ、台湾に住んでいた日本人は台湾を離れなければならなくなります。1945年9月1日の未明、八田與一の妻・外代樹は、夫が造り上げたダムの放水口に身を投じ、自らの命を絶ってしまいます。




八田與一の出身地である金沢からは、団体ツアーまで来ています。




地元の人も大勢来ています。




台南芸術大学の学生による生オーケストラ演奏〜。


これが八田與一の銅像。この銅像については逸話があります。
ダムの建設工事が完成し、ダム建設に貢献した八田與一の銅像を作ることになったものの、八田與一の希望で銅像としては異例の足を伸ばして座り込んだ形でつくられました。
八田與一の死後、この銅像も戦時中ということもあり金属供出の対象となり、銅像は台座から外されてしまいます。
ところが戦後、金属供出されたはずの八田與一の銅像が駅の倉庫から発見されます。しかし、時代は蒋介石(中国国民党)政権の頃で、日本時代の銅像や記念碑、神社などがことごとく破壊されていた時代。農民達は八田與一の銅像を隠し続けます。
それから30年以上が過ぎた1981年、八田與一の銅像は、元の烏山頭ダムを見下ろす場所に戻されたそうです。



八田與一・外代樹夫妻の墓。
このお墓は1946年、地元の農民たちが建てたお墓なんです。
しかも、わざわざ日本風の墓石を取り寄せて・・・。


司会のお姉さんの進行で、墓前祭はスタートしました。




まずは、ピースポールの建立セレモニー。
あの「世界人類が平和でありますように」と書かれたアレ。




台南県の副県長さんが台湾語で挨拶。
そのあと、尼さんによるお経があげられましたが、詠歌みたいなお経でした。




そして、一人一人、お供え物と献花を。




私も菊の花を一輪いただきました。右の写真は台湾式の拝礼。


祭壇に置かれている写真は、昨年まで墓前祭に参加されていた八田與一氏の長男・八田晃夫氏の遺影。昨年の墓前祭の直後に亡くなられたそうです。


地元の高校生たちも拝礼。


八田與一氏の長男・晃夫氏(故人)の夫人・八田綾子さんと、その息子さん(八田與一氏の孫)の八田陽一さんと、その奥様です。
墓前祭には毎年、来られているようですね。


八田さん一家、先祖の銅像と一緒に・・・。


高校生達も銅像と記念写真です。


記念写真に引っ張りだこの八田さんご一家。
毎年のことなんでしょね。その対応にも慣れてらっしゃいました。







お供え物のおすそ分けをご相伴にあずかりました(笑) 旨い!



会は滞りなく終わりました。また来年・・・


八田與一に関して詳しいことはWikipediaを参照。

posted by かもねぎ at 14:51| Comment(1) | TrackBack(0) | 台湾流-旅行記---台湾南部

烏山頭ダム・その1・・・ダムの殉工碑



前から行きたいと思っていた烏山頭ダム(烏山頭水庫)に、やっと来れました!

ここは烏山頭ダムのゲート。
一帯は公園になっていて、入場料を払う必要があります。
バスを降り、ゲートへ近づいて来ると、ゲートの係のお姉さんが日本語で「2名様ですか?」と言ってきました(^^;
乗ってきたバスには、実は私以外に、もう一人だけ50歳くらいの男性が乗ってたんですが、その人も実は日本人だったようです。
もう一人の男性も、この日にココに来ると言うことは、私と目的は同じなんだな・・・(^^;



ゲートでお金を払ったら、こんなパンフレットをもらいました。
日本人はチラホラ来るようになったとはいえ、まだまだマイナーなところなのに、それでもちゃ〜んと日本語のパンフを用意してるところがスゴイ!

まずはダムを見に行きました。


烏山頭ダムのパノラマ写真です。
広さ、綺麗さ実感できない写真ですけど。。。(^^;




ダムの横には「殉工碑」が今も残されています。
このダムは10年の歳月を経て1930年(昭和5年)に完成しました。
その間大勢の人が亡くなったようで、この殉工碑はダムの工事に携わった従業員だけでなく、ダム工事期間中に事故や病気で亡くなった従業員とその家族134名(台湾人92人、日本人41)全員の名前が、日本人・台湾人、男女の区別なく死亡順に刻まれています。
当時の台湾は日本の統治下にあり、支配者側の日本は台湾人を卑下していたと思います。でも、この工事の総指揮をとっていた八田與一は、台湾人も日本人も平等に扱っていたというわけです。
八田與一自らが書いた碑文も書かれています。以下、文を転記・・・。




嘉南大圳は其の利澤を蒙むる廣袤の宏いなること其の水源に於ける工式の雄なるとに於て世界に冠たり 従って其工細且微にして施工上幾多の困難に逢著せるも辛楚十年茲に工全く成る
諸子は斯る間に於て不慮の災厄に遭ひ或は風土の病疫に冒され空しく異郷の墳塋に眠る 轉に痛惜に堪へさるなり 雖然諸子は齊しく犠牲的殉工者にして一死克く従業員の志氣を鼓舞し以て此大工を竣ふるを得たり 又偉なりと謂うふへし
噫々彼の淙々たる曽文渓水は此蜿蜒たる長堤に蘊崇して長へに汪々たる碧潭を奉し随時の灌水は滾々環流して 盡きさる限り諸子の名も亦不朽なるへし
乃ち茲に地を卜し碑を建て以て諸子を傳ふるの文をなす矣

昭和五年三月
 烏山頭交友會長 八田與一




posted by かもねぎ at 12:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾流-旅行記---台湾南部

台南・隆田、鉄道の旅



さて、これから高雄から列車に乗って台南へ向かいます。
自強号の乗車券。台南までの距離は46.7Km。だいたい大阪から京都までの距離に匹敵します。特急で運賃が107元(390円相当)なんだから、やっぱ日本のJRと比べたらずいぶん安いなぁ。


高雄駅のセブンイレブンでサントリーの「DAKARA」を買いました。
すると、ストローがついてきましたよ。(・_・)
台湾では、ペットボトル飲料をストローで飲んでる人をわりと多く見かけるんです。
日本じゃ〜まず全員、口飲みしてますよね〜。
ちなみにこのDAKARAは、サントリーの現地法人が製造・販売してるものです。


これが台湾鉄路局自慢の自強号。
台湾新幹線(台湾高鉄)が開通してからちょっと落ちぶれた感じがしないでもないけど、新幹線ができても、まだまだ走り続けています。
ちなみに座席は全部指定席です。
車内放送は車掌さんの肉声で、北京語、台湾語の2言語で流れていました。
さあ、台南までは30分ちょいの旅・・・。いつの間にか私、寝てたようで台南駅到着寸前までの記憶がまったくありません(^^;。


台南駅に到着〜。台南駅の駅舎がまた古い趣のある駅舎なのです。
この駅舎は日本統治時代の1936年にできた物だそうですよ。


台南駅前です。むこうに見える銅像は鄭成功の銅像です。
鄭成功は中国明代の軍人で、台湾で英雄として称えられています。


台南駅の駅舎内。





日本統治時代からの古い写真がいっぱい飾られています。


台南駅の改札口。自動改札機が設置されてます。
日本のOMRON製で、日本国内の鉄道会社で使われてるタイプと同じ物でした。


台南からの切符。隆田までは鈍行列車を使って行きます。






台南〜隆田間で利用した牽引客車列車。
台湾でもこのタイプの列車はどんどん少なくなってきているようです。




隆田駅に到着しました! 隆田駅のホームと駅舎です。




隆田駅の駅舎内からホームを見る。




隆田の町並み。人がほとんど歩いていない、なんとものんびりした町です。




さて、私は隆田からバスに乗るワケなんですが、その乗るバスの隆田駅付近のバス停の位置がネットで調べてもわからず、行って乗れたらソレで良し。もし乗れなくても料金高くてもタクシーで行けばいいんだと。
で、駅を降りて周辺を探したけど、バス停がやっぱり見つからない・・・。
しゃあないんで、駅から少し離れた役所前のバス停まで歩いて行ったら、バス停ありました(^^)。
やはり・・・というかバスの時刻が書かれていないわけで(台湾のバスって大抵そう)、このバス停に、ちゃ〜んとバスは来るのだろうか、むっちゃ不安でした。
バスの時刻は書かれていないけど、運賃は手書きで書かれていました。




バス、ちゃんと来ました。ちなみにバスは、お昼と夕方の、1日に2本しかありません(^^;
その時刻は、あらかじめネットで調べていたのですが、その時刻表も起点と終点の発着時刻しか書かれてなくて、距離からだいたいおおまかな時間を予測してたんですが、だいたい予想通りに来て安心〜。
乗る時に運転手に目的地を告げて切符を購入します。
日本でも高速バスの一部はこの方式で乗車しますね。
ただ、こちらは運賃支払いに釣り銭が出ないので、小銭が必要です。
バスは高速バスで使われているスーパーハイデッカー車両でした。
こんな車両を1日2本しかない路線に使ってるとは・・・。
わたしゃてっきりマイクロバスみたいなんが来るんじゃないかと思ってたんで(^^;
このバスで、終点の烏山頭水庫まで行きます。



ちなみに、隆田駅近くの乗り場は、隆田駅を降りて右に曲がったところにあるスーパーの前のようでした。
ここでバスに乗ってたおばちゃんが降りたんで、ここがバス停だったんでしょうけど、私がこのスーパーの前を通った時、バス停の標柱は無かったと思うんだけどなぁ〜。




吊り輪が外れているんですけど・・・(^^;


車窓から「甲子園」の文字が見えたので、思わず写真をパチリ!
この地域は「六甲(Liuja・・・リョウジャー)」という地名で、日本統治時代から「六甲(ろっこう)」という名の土地だったから、甲子園って名称も取って付けたような名ってわけでも無いようです。
でも甲子園ブランド、台湾にも浸透してるわけで、これってすごいなぁ〜。



車窓風景。台鉄の上り莒光号(急行列車)が走ってます。



一面の田園風景が拡がっています。日本ならまだ田植えもしてない時期だけど、稲は青々!
この田園地帯も80年以上昔は不毛の地であったとのこと。
これから向かう烏山頭ダムの恩恵を受けて水田の拡がる風景が作り出されてるんですね〜。



台湾のお墓です。土葬らしいので、やたらと立派な墓ですね〜。


そんなこんなで、バスは終着・烏山頭水庫に到着しました!


posted by かもねぎ at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾流-旅行記---台湾南部